お知らせ

家で読書! 【就労移行支援 ソース堺東・三国ヶ丘】

2020.4.27

今回はスタッフが完全趣味で書いています。

もともと本好きなんですけどね、やっぱり社会人になって少し熱が冷めていたときもあります。

ソース堺東岩﨑です。

しかしながら、ここのところ外にも出られないんで、久々に読書熱が。

パラパラ流し読みして、面白かったのが、日本中世を研究している本郷和人さんの『日本史のツボ』

この人の日本史の解説は、素朴な、でも言われてみたらそうだよなあ、という感覚を大いにくすぐられます。

 

たとえば律令制について。

ご存知のこととは思いますが、律令制とはときの大帝国、唐の政治システムを指します。

後進国だった日本は、唐のシステムを真似ることで自国の強化を図ろうとしたのでした。

西暦701年に大宝律令が制定された、というのは教科書にもでかでかと載っています。

律令制のもとでは、土地はすべて王家のものとなり、整備された戸籍によって、人々に分け与えられたのです。

しかしながら、この律令に則した政治は、すぐに廃れてしまいます。

 

土地はすべて公領、という大原則は早くも743年の墾田永年私財法によって覆されてしまいます。

40年ほどしか律令制は機能しなかった……と読むのは早合点。

本郷さんによれば、律令制は40年しか機能しなかったのではなく、そもそも機能してない可能性が高い、のだそう。

律令制による班田収授法は、非常に厳密で、男子は二段、女子はその3分の2、これが6年にいちど更新されて、領民が死ぬと土地は王家に返却。

これだけ複雑なシステムに加え、当時の日本には字を読める人はわずかばかり。中央政権のエリートが理解していたとしても、領民はおろか、地方の役人にまできちんと制度が伝わっていたか、常識的にはかなり怪しい、とのことなのです。律令制は、あくまでもスローガン以上のものではなかったのではないか。

文書とは概ね、権力のある、エラい人が残すものです。それが、現実のあるがままを伝えているとは限らないのですね。勉強になりました。

 

ソース堺東 岩﨑 友寛